番組審議会報告

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第580回番組審議会 2023年9月13日

第580回番組審議会は、2023年9月13日にテレビ長崎本社で開催され、下記の番組について審議を行った。

審議議題番組「伝えたいナガサキ~被爆78年 つなぐ記憶~」
2023年8月9日(水) 10時25分~11時25分放送

出席委員(順不同・敬称略)

菊森 淳文
田崎 智博
近久 宏志
内田 輝美
前田 徹
藤岡 良規
河村 有教
北村 由香
以上 8名

欠席委員(順不同・敬称略)

なし

審議の概要

  • 被爆資料を後世に残すだけでなく、それらの資料の活用方法や継承の仕方を視聴者に考えさせるもので、原爆投下前後の写真と個人のエピソードから、被爆者がいなくなった後の人々が、自分事として考えるようになること、原爆や戦争について、今現在と結びつけることの重要性を、視聴者の一人として
    も認識できた。
  • 核抑止論を否定しない、あるいは、核兵器禁止条約の締結に消極的な日本政府の見解について問題視することにおいても、正しく彼らの見解を認識することが重要だと思われる。そういう意味では、視聴者に対して、途中で切るのではなく、最後まで、内閣総理大臣のビデオメッセージを流して、認識していただいたほうが、よかったのではないか。
  • 登場人物が6人ぐらい出てくるので、最終的に何を一番言いたかったのか、ということが、少しあやふやになってしまったように思う。
  • 記憶をつなぐといった課題は、やはり長崎のローカル局が積極的に旗を振る役割があると思っており、そのテーマを番組冒頭に持ってきて、具体的に活動されている方を紹介し、多くの時間を割かれたというのは、非常に意味があるというふうに感じた。
  • 黙とう時のカメラワークや編集(中継映像の切り替え)、これがどれほど必要なのだろうかというふうに、個人的には感じた。参列者の皆さんが黙とうされている様子を押さえることが本当に重要なのか、必要なのか。また、そのようなニーズがどこにあるのかなと。
  • この1分間だけは、何にも束縛されず、哀悼の意を捧げるということが大変大事だと思っており、中継映像の切り替えよりも、例えば、慰霊碑や平和祈念像などの定点画像で、テレビ局自らも、視聴者にも、黙とうの姿勢を示すべきではないかなというふうに思う。この1分間というのは、番組を見ている視聴者も、黙とうで画面を見ていないのではないかなとも思っている。
  • 物足りない点というか、見ていて思うのは、キャスターの最後の締めのコメントが、いつも「私たちは問われています」という感じで投げかけられるが、今年は、被爆地の経験をどのように核兵器の廃絶につなげ、行動していくのか、私たち一人ひとりが問われています、とこういう形で終わって、最終的に番組が終わるときも、核兵器のない世界の実現に向けて、被爆地長崎の役割が問われていますというふうに問いかけられている。常に、私たちは問われています、とか、長崎に住む一人一人が問われています、というように問いかけられるが、何かそこに違和感がすごくあり、誰に、何を問われているのかよくわからず、いろいろな立場の長崎の人が住んでいるときに、何となく締めのメッセージが抽象的かなという感じがしている。具体的に、KTNとしてのメッセージの伝え方にもう少し何か工夫があってもいいのかなと感じた。
  • 「伝える」ことに焦点を当てた番組構成は、これまでの8月9日の例年の番組内容とは少し違い、冒頭の「今を生きる私たちと変わらない日常がありました」のナレーションからRECNAの林田さんの子供達への「ただの歴史の勉強ではなく、繰り返さないための歴史の勉強」の言葉で始まる番組は、まさに記憶をつなぎ「未来」を感じさせるものだった。特にRECNA(長崎大学核兵器廃絶研究センター)の林田さんの活動は興味深く、2025年に向けた原爆資料館の展示の在り方の問題などは、今後も引き続き知りたいと思った。今を感じながら、当時に思いを馳せ、未来を思う。そんな番組構成であったように思う。
  • 急遽、平和式典の会場が、台風の接近で変更になったことで、制作、特に現場の方々は、この場では言えない大変な苦労があったと思う。その中でも、よかったと思うのは、式典前の平和公園の雰囲気ですね、雨もそのとき降っていなかったということもあるが、本当であれば、あそこの公園は、メーン会場になっていたところで、中継が入ったことで、どれぐらいの人がいるのかとか、現場を伝える意味ではよかった。
  • 式典の中継だけがこの夏の原爆報道の全てじゃないということは理解をしているつもりだが、取材のしやすいところ、取材にうまく応じてくれそうなところにどうしても取材が向かっているんじゃないかな、というふうに、少し思ったりする。式典の前半のドキュメンタリー仕立ての部分で、今、本当に存命の被爆者が出てこないという気がする。そこが、ちょっと気になった。
  • 今回は、かなり、被爆の実相を伝える、伝え方自体も少しずつ変えていかなければいけない時代になってきたかなということを感じた。式典と解説、それから、各テレビ局が伝えたいものをセットで伝えていくという基本的な方式は変わらないとしても、おそらく伝え方を変えていかないと、テレビでこれを報道していくという意味が少しずつ変わっていくのではないかなと。いろいろな情報を伝えるツールができていく中で、あくまでもテレビ局として、こういう伝え方をするのが一番いいんだという考え方は当然あると思うので、その方法を模索していくしかないのかなというように感じている。これからの世代、特に若い世代に、我々がやってきたことの意味を伝えていくような、そういう番組もぜひ作っていっていただきたいと、切に願っている。
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