「爆心地の子供の遺骨は親族では…」テレビ中継見た男性が照会状を提出 原爆後に親子の消息分からず
長崎の民放4局が2025年7月に放送した、長崎市の爆心地公園からの中継を見た視聴者の男性が「爆心地で見つかった子供の遺骨は親族ではないか」と名乗り出ました。
爆心地で犠牲になった親子の消息を探して、男性が26日、長崎市に調査を求めました。
長崎市に「照会状」を提出したのは、諫早市の山下信哉さんです。
「原爆の被災地図(復元地図)に記してある毎熊家は、私の大叔母家族ではないかと考えて」「こういう形で申し入れをさせていただきますので、よろしくお願いします」
山下さんは原爆投下当時、今の爆心地公園にあたる松山町177番地に住んでいた大叔母(祖母の妹)の毎熊ミヨさん(推定年齢31歳)と、娘の道子ちゃん(推定年齢5歳)の消息を市に尋ねています。
きっかけとなったのが、2025年7月31日に放送されたテレビのニュースです。
被爆80年にあわせ、長崎のテレビとFMの6社が立ち上げた「長崎メディア共同プロジェクト」のうち、民放4局が7月末に同時中継しました。
KTNが担当した爆心地公園からの中継には、被爆者の竹下芙美さんが出演しました。
竹下芙美 さん
「一番、胸に来たのは当時の私と同じぐらい4歳ぐらいの子供の骨が出てきて、頭蓋骨。中に乳歯が4,5本、残っていました」
竹下さんはその子「さくらこちゃん」と名付け、長年慰霊してきました。
この物語を伝えようと絵本を制作したこともありました。
山下信哉 さん
「年齢が4,5歳ぐらい、という風なお話だったので、あれっと」「もしかしたら、大叔母の娘の道子さんじゃないかなと思いました」
山下さんによると、ミヨさんは祖母の妹で、夫・三郎さんは昭和20年2月に戦死しました。
今、残るのは昭和19年に撮影された家族写真だけです。
親子の消息は80年間、分からないままでした。
市は資料などを調査し、情報を提供できればとしていて、山下さんは「やっと見つけましたよ」と声を掛けてあげられることを願っています。
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