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2021年06月05日

災害の「記録」をどう伝えるか...伝承と防災への課題<普賢岳噴火災害30年>

1991年6月3日、43人が犠牲になった長崎県・雲仙普賢岳の火砕流惨事から今年で30年。災害の記憶を、どう次の世代につないでいくのか、行政の資料をどう残し活用するのか、模索が始まっています。

当時の島原市の広報誌や様々な資料。市職員らが災害対応に追われながら、山の様子やそのとき何が起こったかを記録してきました。

島原市市長公室 古賀 英樹 次長兼政策企画課長:

(カテゴリーごとではなく)当時の担当がその日ごとに集めた資料を日付でずっと並べている。

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島原市有明町にある、有明農村環境改善センターの一室には、7000点を超える雲仙・普賢岳に関する行政の記録や資料などが保管されています。

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島原市市長公室 古賀 英樹 次長兼政策企画課長:

私が撮ったのもある。(当時)白黒が主体だったが、積極的にカラー写真を撮って残していこうと。

火山活動が続く中、警戒区域内で市の職員や自衛隊が撮った写真は、当時避難生活を強いられた住民にとって、自宅や地域の状況を確認する術でもありました。

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島原市市長公室 古賀 英樹 次長兼政策企画課長:

避難勧告でなかなか自宅に帰られないので、避難所に撮影した写真を掲示して「こういう状況ですよ」と報告したりした。

陸上自衛隊の隊員は、スケッチで山の変化を捉えました。観測を目的におよそ5年にわたって雲仙・普賢岳の頂を描いています。

島原市市長公室 古賀 英樹 次長兼政策企画課長:

溶岩ドームの成り立ちがわかる大変貴重な資料。

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このほか、被災者への対応や復興への歩みを振り返る上でも必要な資料が残されていますが、それがどういった資料かそもそも分かっていないというのが現状です。当時を知る市の職員がいるうちに資料を整理したいものの、人的、財政的な問題があって着手できずにいます。

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災害の記憶をつなぐ資料が眠ったままにならないよう動き出した人もいます。元島原市職員の松下 英爾さん(66)です。

松下 英爾さん:

行政マンとして、防災の仕事の大事さと、困った不自由な生活をしている被災者の皆さんの支援をどうするか。記憶や記録を活用できれば、将来の防災や被災者の生活支援のためになる。

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松下さんは、噴火災害を取り上げた本や雑誌、災害対応にあたる行政の動きをまとめた文書などを集め、2018年からこの時期に企画展を開いています。

内嶋 善之助さん:

経験した人ならば分かる事も、50年たったら多分もう誰もわからなくなるだろう。

松下さんは今年、同じく市の職員だった内嶋 善之助さん(68)とともに、資料の簡単な説明を添えて目録を作りました。

松下 英爾さん:
記憶する人もいなくなれば、物だけだと分からなくて捨て去られることになる。何とか活用できれば。

当時を知らない世代もこの取り組みに関わっています。埼玉県出身の倉林 実央さん(29)です。大学で火山や気象について学び、去年から島原市の地域おこし協力隊として移り住みました。

倉林 実央さん(29):

まずどういう活動しているのかを知ってもらいたい。自分が来たときにどうだったら見るかな、どういうものがあったら展示に興味持ってもらえるかなと。

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企画展を始めたことで市のOBなどから資料が集まるようになり、今年は約500点を展示しました。

松下 英爾さん:

災害は所、時、場所関係なく起きる。自分と同じような人たちが(災害後)どう取り組んできたか分かると思うので、みなさんが作った資料を振り返ってこれからの色んな備えを考える1つのきっかけになれば。

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災害の記憶をつなぐ資料は雲仙岳災害記念館で627日まで展示されます。

これらの資料は、松下さんが個人で保管しています。今後、島原市の膨大な資料や、松下さんが収集した数々の資料をどう残し活用するのか。記録を1つの財産として後世に伝えていくために、模索が始まっています。

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