第590回番組審議会 2024年9月11日
第590回番組審議会は、2024年9月11日にテレビ長崎本社で開催され、下記の番組について審議を行った。
審議議題番組 伝えたいナガサキ ~被爆79年 被爆地の次の一歩~
2024年8月9日(金) 10時25分~11時30分放送
出席委員(順不同・敬称略)
田崎 智博
内田 輝美
近久 宏志
吉井 剛
藤岡 良規
河村 有教
北村 由香
樋口 聡子
以上 8名
欠席委員(順不同・敬称略)
なし
審議の概要
※この番組は、2024年8月9日の平和祈念式典の中継を中心に、式典の説明や被爆者を取材したVTRなど65分番組として放送。
- 式典の内容を説明しながら式典中継につなげる構成で、被爆体験者問題や世界情勢、原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんの詩という3つ大きな柱があり、とても分かりやすかった。去年より歴史や人物が分かり、よかったと思う。
- 番組名の「伝えたいナガサキ」にもある通り、長崎や被爆者の現状をしっかり伝えていた、副題は「被爆79年 被爆地の次の一歩」で、「79年も経つのか」「来年80年なんだ」というところを気にしながら見ていたら80年につながる動きもしっかり入っていて、協議会の取り組みがあるなど、学生団体の動画配信の動きも入っていたのでよかった。
- 式典中継は、字幕がしっかり出ていてよかったが、番組側のナレーションと会場側のナレーションがかぶって、聞きづらいところがあった。
- 磯部アナウンサーが、中継が始まる前に、個人的な意見と前置きした上で、被爆地長崎の放送局の一社員として、式典に対する思い、イスラエルを招待しなかった問題について述べていて非常によかった。
- 中継に関して会場全体が分かる映像が全くなかったような気がした。カメラポジションの問題もあるのかもしれないが、前から参列者の方はあったが、式典全体の雰囲気、特に、あの日は暑かったと思うので、その辺が感じられるような全体の映像が欲しかった。
- KTNのWebサイトの番組ページに、平和宣言がしっかり全文載っている。ゆっくり見られたのでよかった、来年もぜひ載せてほしい。
- 式典が始まる前の番組冒頭は、ここ数年、ストーリー仕立てだった気がするが、今年は淡々と、被爆者がやがていなくなることを強調しつつ、伝えるということに特化していた。「淡々と」というのが、悪い意味ではなく、さらっと見られたというのが今年の印象で、「さらっと」の中にも印象に残るシーンも多かった。
- 式典で被爆者代表の三瀬清一朗さんが、語り部の活動の中で子どもたちに伝えた「当たり前のことができるのが平和」「一番大切なのは命」など、声とともに字幕で見せることで、より印象に残るものになった。三瀬さんを軸に、被爆者の方たちが、残された時間でやれることを必死にやっている姿を見て、私たち世代、特に自分に何ができるだろうということを本当に考えさせられるつくりだった。
- 大学生ボランティアの上田さんたちが、被爆者の声を、若者たちの目線で、SNSを通じて世界に発信している、それも1分間という短い時間にまとめてという伝え方が面白かった。高齢の視聴者のために、なぜ1分間なのかの説明があればよかった。
- 被爆体験者の岩永千代子さんをはじめとする人々のことも、多くの時間ではなかったが、必ずどこかで伝えるという姿勢が、すばらしいと思った。毎年、岩永千代子さん、被爆体験者の話が出てきてKTNの"忘れていない""取材を続けている"という番組づくりの姿勢はすばらしいと思った。
- 式典の高校生の女性の声がとてもよく通る高い声ですばらしかったが、本田アナウンサーと女性同士の高い声でかぶってしまい、本田さんの声が聞き取りにくかった。もう少し式典会場の音声を絞ってよかった。
- 番組冒頭に、テロップで、「長崎を包む祈り」とあったが、8月9日、長崎が祈りに包まれているというのは、すごく感じていて、それをあの文字、テロップで見せるというのは、県外の人から見ても、長崎は「祈りで包まれるまち」なんだというのを、冒頭に出したのが印象的でよかった。
- 番組の後半で岸田総理の挨拶が途中で切れてしまうことに、非常に違和感を覚えた。被爆80年を間近に控えた79年という意味もあるが、被爆地である広島出身の岸田首相がどういう言葉を発するのか、被爆体験者の話も今年は注目される年だったので、岸田さんが何らかの言及をするんじゃないかということもあり、その言葉が途中で切れてしまうというのはどうかと思った。番組でも被爆体験者の話の中で「岸田首相の対応が注目されます」という言葉があったので、余計に際立ってしまったと思う。
- 磯部アナウンサーが、番組の冒頭で各国主賓の招待について一部私見を述べられたことに違和感を覚えた。式典の紹介と、私見を述べる人が同じで、しかも式典紹介の途中で入ることには、違和感を覚えた。例えば、中継する人と、コメントを言う人を別にすることはできないかと思った。意見そのものではなく、言う場面や誰が言うかの工夫があったらよかった。
- いろいろな人が話す言葉をずっと字幕で紹介していた。"伝えたい"対象が、若い人、高齢者、障害者、いろいろな人が理解しやすいように工夫されていると感じた。
- 式典会場の中継をメインストリームにしながら、この1年のドキュメント、それから、福田須磨子さんの生涯や生前を知る人のインタビューがあり、ウクライナやガザでやまない戦禍の話や、日本を取り巻く状況の変化と武器輸出の問題、被爆体験者問題について、駆け足だったが、コンパクトに、それぞれ言及していて、非常に"手堅く"つくられていると思った。
- 磯部アナウンサーが「被爆者がいない」という、式典会場のライブな感覚、肌感覚を伝えたのは非常に説得力があった。それから、被爆者の川野浩一さんが84歳、小峰さんが83歳、横山さんもまた83歳という感じで、番組に登場する被爆者のほとんどの名前スーパーに年齢が入っていたのが、本当にしみじみ高齢化と実感させるというか、非常に地味ではあるが、大切な作業だなというふうに思った。そういうところをきちんと押さえられていたのがよかった。
- 黙とう前のナレーションの「11時2分」の修飾語の表現は"原爆が投下された"11時2分ではなく、"原爆が上空で炸裂した"11時2分ではないか。
- 「被爆者なき時代がそこまで来ています」というのが、ここ何年も定型句、常套句になっている。YouTubeやショート動画など、若い世代の継承に向かう新しいムーブメントがあり、それは確かに貴重だが、現時点で取材できる被爆者の話題を取り上げたり、掘り起こしたり、残していく努力はどうなのか、すべてのメディアに常に問われている。
- 被爆者の高齢化で、新しく関係をつくることや、新たな人を探すことは本当に難しくなっている。皆さん高齢なので、一度過去に取材した人でも繰り返し何回も話を聞かなきゃいけない人も、高齢で、健康を損なわれていたり、施設に入っておられたり、病院に入っておられたり、取材やコミュニケーションが難しくなっている。コロナ禍が終わっても対面の取材ができないなどの取材の仕方が、スタンダードとして残っている。「被爆者がいない時代がもうそこまで来ています」と言って終わりではなく、自覚的に、意図的にやっていくことが必要。