第110回 そもそもシリーズ③シーボルトってどんな人?
毎週火曜は町歩きの達人・山口広助さんと行く「ひろすけじるし長崎遺産」♪今月はそもそもこれって...?というシリーズをお送りしています。今回はアノ偉人・シーボルトについてです!
まずはシーボルト宅跡がある「鳴滝」地区からスタート!第24代長崎奉行の牛込忠左衛門が京都洛北の鳴滝をしのび、名付けたと言われています。滝はないのに鳴滝。京都から由来しているんですね~
少し川に下ると...岩に彫られた鳴滝の文字が!
「瀧鳴」と書いてありますよ~これは唐大通事の林道栄の書と言われています。こんなところに刻まれているなんて知りませんでした~
さてさて鳴滝といえばシーボルトが鳴滝塾を開いたことでも知られていますが...あらためてシーボルトってどんな人だったんでしょうか?
シーボルトの本名は「フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト」今年で来日200周年を迎えました!200年経った今もその功績が語り継がれているなんてすごいですよね!実はシーボルトはオランダ商館医なんですが...ドイツ人なんです。当時、オランダ人しか受け入れていなかった出島にやってきたシーボルトは「オランダの山の上の方に住んでいるので訛っているんです」と自分の発音をごまかしたそうです!そんなエピソードがあるなんて!
ちなみに...シーボルトの宅跡に向かう途中に「シーボルトノキ」と名付けられた木が。これは今話題の植物学者・牧野富太郎が発見したときに新種だと思い場所にちなんで命名したそう。あとからすでに発見されていたクロウメモドキであることが判明したそうですが、日本ではシーボルトノキとして知られています。
来日200周年を迎え、まだまだ知られざることが多いシーボルト。この機会にシーボルトについて調べてみるのも良いかもしれません!
2023年08月15日更新