番組発
食事処 たいち
本格チキンカレー
1945年8月9日、長崎から約20㎞離れた諫早やさらに離れた大村の海軍病院を目指し、多くの原爆被災者が列車で運ばれた。
氏原和雄さん(94)は、当時15歳。学徒動員先の諫早駅で列車の連結手の見習いとして働いていた。
「ちょうど11時2分、ぴかーっとものすごい光が来て、閃光、というか目がまぶしいような光が諫早まで来た」と氏原さんは振り返る。
諫早や大村には、被災者の手当や死体の処理などをしたことで、原爆の放射能の影響を受けた人たちがいる(「救護被爆者」と呼ばれる)。
被爆地から遠く離れた場所で何が起きていたのか、地域の記憶を「紙芝居」で後世につなぐ取り組みが続いている。
「最初の列車が到着し車内に入ってその光景にびっくりしました」、「一刻も早く応急手当をしなければ。
一生懸命、列車からホームに運び出しました」と当時の様子を生々しく伝える紙芝居。諫早駅で救護列車を迎えた氏原さんの体験をもとに描かれ、2025年2月、初上演を迎えた。紙芝居を読み手は氏原さんの長女・鶴田光惠さんだ。
「熱い、熱い 。水を、水を 。うめき声が交差していました。まさに『生き地獄』だと思いました」......
紙芝居には、白血病のため7歳で亡くなった氏原さんの四男への思いも込められた。
氏原さんは「直接、放射線を私は浴びてはいないが、救護したことによって私は『被爆者』になった」「今後は核を使わないように、世界の人に理解してもらうようにお願いしたい」と紙芝居の広がりに期待している。
(2025年3月14日放送)