ホームニュース「記憶はあの日で止まったまま…」普賢岳・大火砕流惨事から34年 災害の記憶の継承願って祈り【長崎】

「記憶はあの日で止まったまま…」普賢岳・大火砕流惨事から34年 災害の記憶の継承願って祈り【長崎】

2025年06月03日 18:31

消防団員など43人が犠牲になった雲仙・普賢岳の大火砕流から3日で34年です。

ふもとの島原市では大火砕流が発生した午後4時8分にあわせて追悼のサイレンが鳴らされ、遺族などが黙とうを捧げました。

消防団員の詰め所があった島原市北上木場の農業研修所跡です。

大火砕流が発生した午後4時8分にあわせて消防団員の遺族や関係者など約50人が黙とうしました。

亡くなった消防団員 山下日出雄さんの妻 睦江さん
「一番忘れられない日でもあるし、一番悲しい日でもある」「消防団員色んな方が亡くなっているので(冥福を)祈っていただく日と思っていただいて、継承してもらえたらありがたい」

次男 優樹さん
「記憶は…あの日で止まったまま」
 
1991年6月3日に発生した雲仙・普賢岳の大火砕流で消防団員や報道関係者など43人が犠牲になりました。

このうち、住民3人は今も行方不明のままです。

吉田恵徳さんは南島原市布津町にある妙法寺の副住職です。

大火砕流の犠牲者の供養のため15年以上前から、当時、新聞やテレビの関係者がカメラを構えた「定点」を訪れています。

吉田恵徳 副住職
「うちのお寺の関係者の方の中にも、実は行方不明になっている方、ご夫妻がまだこの地に眠っていらっしゃる」

吉田さんはこれからも供養を続けたいと話しています。

噴火災害の被災者が暮らす島原市の仁田団地には犠牲者の名前が刻まれた追悼の碑が設けられています。

3日朝は島原市の古川隆三郎市長や関係者など約70人が花を手向け、静かに手を合わせました。

古川隆三郎 市長
「いつまた山は動き出すか分からない」「これからの子供たちに災害の教訓を伝えていく必要を感じています」

地元の高校生も訪れ、追悼の思いを込めて折った千羽鶴を捧げました。

島原中央高校3年 吉田來未さん(吉は土に口)

「(犠牲になった方々が)安らかになるよう、1つ1つ思いを込めて丁寧に折った」

火山学者で「普賢岳のホームドクター」と呼ばれた九州大学・名誉教授の太田一也さんも今年、亡くなりました。

大火砕流惨事から34年、当時を知る人が少なくなる中、継承の重要性は一段と高まっています。

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